きこえる。

ミロンガ・ヌオーバ
という


半世紀以上つづく
タンゴ喫茶で
はたらいていた。


長い間
はたらいて


わたしは
ミロンガというお店が
好きになりすぎて


仕事を
辞めた。




このままでは
自分自身とお店とが
自身の意識のなかで
ごちゃまぜになってしまう。



永くつづいて
受け継がれてきた
歴史と時間


圧倒的な
店のうつくしさは


決して
いつまでたっても


わたし自身の表現には
なり得ない。




いつか
ゆきづまることは
目にみえていた。






タンゴ
という音楽は


わたしにとって
ミロンガヌオーバという
お店そのもので


辞めてからは
なんとなく


ちゃんと
向き合うことが
しんどくなっていた。






ミロンガを辞めて
そろそろ
10年がたつ。


私の隠れ家も
6年。


なんだか
最近


また
タンゴが
聴きたい。



思うようになってきた。





やっと
私はミロンガヌオーバを
卒業できたのかもしれない。






まとめて
箱にしまっていた


膨大な数の
CDから


ひっぱりだしてくる
音楽。





10年前
ピンとこなかったものが


なんだか
無性に


こころに響く
こともある。





1987年に
地球の裏側で
録音されたもの。


つくり手の生きた証が
たくさんの聴き手の中でも
成長し融和してゆく。






せつない旋律と
研ぎ澄まされた
美意識。


なにより
伝わる


隠しきれない
あふれだす情熱。


完成度の高い
映画をみているような


つくり手の
まっすぐな人生を
みているような


きもちになる。







タンゴという
音楽に青春を捧げた


たくさんの
おじいちゃんたちから


たくさんのレコードを
いただいている。



レコードに埋もれて
死んでいった
かつての青年たちに
託された


うつくしい
音楽。





そう
私の青春も


たくさんの
タンゴのレコードと
供にあったんだった



思い出す


春。



足音が
きこえる。



はじまりは
いつも


突然だ。