躍動するいのち。

物質だけ
豊かで、平和で 

生きる意味も
わからない

ぼやっとした
金に目の眩んだ
あやふやな大人たちに
育てられた

わたしたちの世代は
確実に狂っていたと思う。

ドラッグもいじめも
ふつうにそばにあったし

深夜まで踊り狂ったり
セックスの氾濫の中でも

生きる意味を探すために
リストカットしたり
いじめたり
いじめられたり

でもわたしたちは
そういう
見せかけの平和の中で

平坦な戦場を作りだして

自分たちなりに
生きるうつくしさを
解放区を探してきた

その先端が
電気グルーヴであり
コーネリアスであり
小沢健二であり
岡崎京子

だったんだと思う。

少なくとも
この人たちの作品が
私の青春の生きる希望だったことは
紛れもない真実なのに。

清廉潔白でいて
生きてる意味を学べる
世界をつくってこなかった

社会や教育や政府の人間が
当時まだ未成年だった

この世代の行いを
糾弾する権利があるのかな?

見て見ぬふりしていた
学校が糾弾されるべき
なんじゃないのかな。

そもそも
任命した政府が謝るべきだし。

日常的に
いじめをくりかえす
未成年たちの行いを
見て見ぬふりしていたくせに

目立ったその山のてっぺんだけ
ひっぺがして

立ち直れないくらい
ボコボコにして

負の連鎖は
続いてゆく。

あーっ。
なんなんだよ一体。これは〜。

岡崎京子がもし
元気だったらなんて言ってたかな。

知りたいよ。