しんちゃん。

mirefugio2014-10-05

荒木町を歩く
しんちゃんを
はじめて見たとき


思わず
ふりかえった。


一瞬
古賀政男??
と、思った。


あれ?
亡くなったんじゃ
なかったっけ?


まぼろしをみたような
不思議なきもちになった。



またある時
夜中に看板を
しまっていたら


「ママ、
こないだ傘ありがとね」


と、
しんちゃんに
言われた。


傘、貸してない…。
と、
思った。


その日の
しんちゃんは
にっこり笑って
酔っぱらっていたのか
柔らかいやさしい
雰囲気をのこして
夜の荒木町を
歩いていった。



またまたある時
荒木町名物
アローカメラの社長が
しんちゃんを連れて
隠れ家にやってきた!


社長は
しんちゃんのギターで
函館の女を
熱唱してくれた。


生のギターで唄う社長は
誇らしげで
イキイキしていて
たのしそうだった。


三曲千円。


生のギターで伴奏して
お客さんをたのしませるのが
流しの仕事。


しんちゃんは
この仕事を55年も
やってきている。


荒木町の守り神のように
ぐるぐる
いろんなお店を回る。


最近は
弟子のチエちゃんも
一緒だ。


買い物に行くときも
看板をしまうときも


わたしは
ふたりを見るたび
ホッと胸をなでおろす。


荒木町は
まだ、変わっていない。





今、歴史を重ねてきた
町の多くが
変わってしまった。


お客さんを呼ぶために
町を明るくし
古い建物を壊し
目新しい
ショッピングセンターや
観光地をつくっている。


町が重ねてきた
歴史や記憶に蓋をして
ハリボテのような
中身のない町を作ってゆく。


押上は
もともと
ソラマチスカイツリー
町じゃないし


神楽坂も
お洒落なフランス気取りの
町じゃない。


人と人が絆を紡いで
泣いたり、わらったり
生きていくために
懸命に働き、身を削りながら
何度も何度も
手を取り合い、
ぬくもりを重ねて
つくってきた町だ。


いいことも
かなしいことも
ぜんぶひっくるめて
その町を愛し
その町の風景になって
生きていく。


ということを
いつのころからか
東京に住む私たちは
忘れてしまった。


はじめて
荒木町に来た時


私はびっくりした。


階段に石畳、細い路地に
小さなお店がたくさんある。


チェーン店が
見当たらない。


そして
ひとつ、ひとつの
お店の看板に
ちゃんと
人のぬくもりを
感じることができた。


ここで
お店を開こうと
思いました。


この町の風景になって
生きていけたら
私はきっと
しあわせだ。


と、思ったのです。


しんちゃんは
日本のいろんな町の
風景になって55年。


流れ流れて
たどりついた
新宿四谷荒木町。


ただ唄を唄いたいなら
カラオケで唄えばいい。


でもやっぱり
しんちゃんのギターで
唄いたい。
と、思う人がいる。


しんちゃんのギターの音と
お客さんの唄声は
いつも
お互いの息づかいに
あわせようと
寄り添いあう。


人のつながりを
信じてなくちゃ
きっと続けてこれなかった
「流し」という仕事。


戦災孤児だった
しんちゃんは
悪いことをしなくちゃ
食べてこれない時代もあった。


自分の人生に起こった
いろんなこと。


隠さずに
ちゃんとはなしてくれる
しんちゃんが
隠れ家スタッフ一同
こころから
好きだなあと思う
今日この頃。


めぐる時代の中で
やっとこさ
どっこい生き残っている
人のぬくもりの象徴のような
新太郎さん。


いとおしいなあ。



お会いするたび
思う日々なのであります。


長生きしてほしいなあ。