あこがれの人。

mirefugio2015-03-19

はじめて
この本を
読んだのは
いつだったかな。


とにかく
電車のなかで


くるしいような
せつないような
かなしいような
いとおしいような


いろんな感情が
うずまいて


息がしにくいような
きもちになった。



向田邦子の恋文。



人の恋文を読んで
勝手に
あーだこーだ
いうのも


あんまり
趣味のいいことじゃない。


でも
人を愛するってこと


いつも
ほがらかに
自分から手をさしのべ


それをしあわせと
思える意志とつよさが
向田邦子さんにはあって


それが
この女性を
こんなにも輝かせ
たくさんのひとを
いまだに惹き付ける。


昭和4年に
生まれた人。


そして
昭和56年に
亡くなっている。


こんなひとに
なれたら。


どこかで
ずっと、そう思っている。


でも
知的分野でも
人間的分野でも


足元にも
及ばないことは
わかっている。


そして
あこがれの人は
もう
この世にはいない。


その事実が
この一冊の本を
かなり
ファンタジーなものに
している。


向田邦子さんが
まだ生きている頃に
わたしが
生まれていたら


あこがれの人に
なっていたか
どうかは
わからない。


なぜなら


この本は
秘め事が
書いてあるから。


秘め事というのは
いつの時代も


ひとを
魅了する。


わたしには
秘め事をもつ強さが
ないなあ。


と、思う。


なんでもすぐ
口に出してしまうし


あけっぴろげな
行動をしてしまう(笑)


向田邦子さんへの
道のりも遠い。


今日は
ほんまちひろさんのお誘いで
ながくつしたのピッピに
手紙を書きます。


ピッピへの手紙を
いろんな作家さんたちが書き
文集をつくるのだそうです。


ピッピを読んでいると
自分を見ているようで


ああ
私もひとを
ゴタゴタに巻き込んで
ご迷惑を
おかけしたりして
いるかも!



思います(笑)


でも
ピッピが好きで


ということは


わたしは
とっても自己愛のつよい
ピッピ気取りの
中年女なのか?



思ったりしています。


そんなことを
考えていたら


朝になってしまいました(笑)


木曜日。


隠れ家はおやすみです。


考えごとは
とめどなくふえてゆきます。


ひとつひとつ
答えをだして
前に進まなくては。


金曜日に
また上機嫌で
みなさんに
会えるように。


ピッピに
相談してみます(笑)