ぞろ目の日。

たとえば


ラップで包まれた
おにぎりを食べる瞬間の
海苔の匂い。


けだるい夏休みの午後。


市民プールの待合室ロビーで
友達とたべた
おにぎりの記憶。


ガラス越しに
聴こえた蝉の声。


朝、台所で
おにぎりをにぎる
お母さんの背中。



水筒にはいっていた
茶の味まで。


おにぎりの
海苔の匂いを嗅ぐと



するすると
わき上がるように
よみがえる


こどもの頃の記憶。



「あれたべたい」



枡野浩一 ぶん
目黒雅也 え



こどものころの
食事の記憶。


いのちを殺め
いのちを繋ぐ
食事。


たべる。
という行為の


根本のところに
母親が毎日


こどもに提示しつづける
愛情のようなものがみえてくる。


生きてほしい。
と。いう。きもち。


を。


こどもは食べつづけて
育ってゆく。





「あれたべたい

また会いたい

きっと会える

たべたら会える」



帯に書いてある


角田光代さんの
このことばの意味すること。


記憶を再生する食事。



この絵本には
そのしくみがちゃんと
描いてある。



なぜ
食べるのか。


何を
食べているのか。



料理に託す
気持ちのようなものと


記憶の関係性。



美食、美食と
高級食材や非日常を
追い求めるのではなく。


人間がしあわせな記憶を
取りもどすために
思い出すべきな



もっと
たいせつなこと。


こどもにも、おとなにも
つたわる。



とても
やさしい絵本です。



わたしも。
あした死んじゃうなら


最後の食事は



お母さんのつくってくれた
お弁当が食べたいな。