せかいいち うつくしい ぼくの村

七月になると、店頭に様々な種類のスモモが並びます。私は、ことのほか、スモモが好きなのです。手のひらにすっぽり入る大きさ。いまにもはじけそうなつやつやの肌。地上に落ちた太陽のかけらを探しなさいと言われたら、きっとスモモを差し出すでしょう。薄い皮の下に秘めたる瑞々しい生命力。私はうっとりと手の中の太陽を眺めながら、絵本に描かれた、ある村のある少年のことを思います。
アフガニスタンのパグマン村。春は花が咲き乱れ、夏は果物がたわわに実ります。今は、あんずやすもも、さくらんぼのとりいれ時期です。小さい男の子のヤモも、かごいっぱいのすももをとります。そして、父さんと二人で市場にさくらんぼとすももを売りに出かけます。兄さんは戦争に行っていて今年はいないのです。父さんと別れ、さくらんぼを売るヤモ。無事にさくらんぼは売れ、帰りに父さんは子羊を一頭買いました。なんて幸せな一日なのでしょう。
屋根付きバザールの描写は賑やかで楽しく、私もヤモと一緒にアフガニスタンの雑踏に紛れ込んでしまったかのようです。その一方で、肩から銃を下げている人がいますし、ヤモのさくらんぼを買ってくれたおじさんは戦争で片足を失っています。そして、最後の一節。「このとしの ふゆ、村は せんそうで はかいされ、いまは もう ありません。」
私は、真っ赤に熟れたスモモを食べるたび、ヤモは元気にしているだろうか、と思うのです。七月七日の願いごと。「世界中のどの人にもおだやかな日常がその人の側にありますように。」


『せかいいち うつくしい ぼくの村』小林豊(ポプラ社



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森ふき