ちょうど
10年前。


わたしは
成城学園前の喫茶店
アルバイトをしていた。


25歳の女ひとり。
いろんなアルバイトを
掛け持ちしながら


我ながら
貧乏くさく、慎ましく
一人暮らしをしていた。


そこには
音楽をやっている
二人の青年が
はたらいていた。


わたしは
その喫茶店
いろんな音楽を
教えてもらった。


ふたりのやっていた
バンドのライブにも
よく行っていた。


身近にいるそのふたりの
つくる音楽は


自分たちの貧乏な生活や
社会の価値観とのずれに
反抗するような
ものではなく。


目にみえる
そんなことを
ひょいと飛び越えた
ところにある
おだやかさとやさしさに
満ちていた。


今日
突然、そのうちのひとりが
友達と店にやって来た。


ギターを持っていたから
久しぶりに聴かせてよ。


と、言ったら
聴かせてくれた。


あの頃とかわらない
おだやかさとやさしさ。


そして
わたしのからだに
しっくりなじむ
リズムとメロディー。


普段は
空き缶を集めて
お金に替えようと
してる(笑)


と、言っていた。


ふたりは
とてもたのしそうに
笑っていた。


ひとによっては
お金がないということを
絶望ととらえる。


でも
時にはいろんなことに
傷つきながらも


あの頃のわたしたちは
貧乏な暮らしのなかに咲く
うつくしい花を
探しつづけていた。


絶望の中に
咲く花の
本当のうつくしさは


絶望を知ってる人しか
知らない。


しあわせの基準は
人それぞれ。


ああ
しあわせに生きてるんだな。



ふたりにもらった
珈琲代の千円札を


わたしは
金庫にしまい


ふたりを
見送る。


もうひとりは
元気かなあ。


と、
時計の針を巻き戻して
考えてみる。