四周年。

小さい頃から
ピアノに油絵
工作教室に
お習字。


家にはレコードと画集。


父は外国に出張に
ゆくたびに
たくさん色のある
色鉛筆や
謎の木彫の置物や
カラフルな子供用の民族衣装を
買ってきてくれた。


小さなわたしは
そのすべてが
あんまりうれしくなくて。


本当は
クリーミーマミの
玩具やファミコン
ほしかった。


でも
今、私の隠れ家には
昔、私の家にあったものが
たくさんある。


うつくしさ。
とは何か。


それは
ひとそれぞれで。


でも
うつくしさというものは
やっぱり生きているものに
宿る愛情みたいなもの
なんじゃないかな
と、思う。


やっぱり
愛がないものは
うつくしくない。


父や母から
受け継いだうつくしさの
基準をかたちにしたくて
私は35年。


そのうつくしさを
探してきたのだと思います。


服飾を学び
写真に取り組み
どうにもこうにも
もがいても
みつからなかったもの。


私の隠れ家を
開店して四年がたちました。


かたちになったことも
ならなかったことも
あるけれど。


毎日
お客さまが
来てくれて
よい音楽と絵と本と。
きちんとつくったごはん。
そして
おいしい珈琲。


文字にしたら
こんなに簡単なことを
つくり出すのに
結構いのちがけの
四年間でした(笑)


こんな不甲斐ない
経営者の元で
働いてくれたスタッフ。


支えてくれた家族。


そして
来てくださるお客さま。


四年間
ずっとわたしたちを
包み込んでくれた
この小さな店。


たいせつな人やものが
たくさん増えました。


絶えず努力する手だけが
一番うつくしいものを
いつも作り上げる。


花森安治さんの
このことばを
かみしめながら


四年目の夜を
途方もないきもちに
なりながら迎えています。


まだまだ
戦いは終わりません。


そして
まだまだ
見たことのない世界を
つくりだせると
信じています。


今日も
ここちよい疲労感。


さあさあ
明日の足音を
聴きながら
ぐっすり眠れば


五年目の朝が
やってきます。